「好きなことだけで生きていくこと」には弊害があるお話。
2年前に「好きなことだけで生きていくぞ〜〜」って会社を辞め、ブログで独立しました。
いまも苦戦はしていますが、Webライターの仕事でなんとか生活ができています。
ある時期までは「好きなことだけで生きていくのって最高じゃん?もうやりたくないことはやらずに生きていこう!」と心に誓っていました。
たぶんこれは多くの人が思っていることでして、そういう生き方が最高だと信じているかもしれません。
ただ、最近そうとも思えなくなったのです。
なぜなら、「人としての器を広げてくれたのは、だいたい人からの命令かしんどい仕事だったから」なんです。
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好きなことだけやると、将来が予測できてしまう
まぁ〜好きなことだけで生きていくのは楽しいし、幸せでしかないです。正解だと思います。(笑)
物事を極めて、それ1本だけで生きていく人はカッコいいなと思います。
ただ、「自分が好きかどうか」をすべての基準におくと、ある程度予測された未来しか見えないのです。
その道を極める過程で、予測不能なことはあるとは思います。しかし、「自分の好きかどうか」で行動していたら
予測していなかったことに出くわす可能性を失うこともあるかもしれないということもあるのです。
そもそも好きなことができない人生って不幸なの?
もし、なんらかの状況で自分の好きなことができなくなった場合、人生にぽっかりと穴が空いた状態になり
何もできなくなるかもしれません。
たとえば、車の運転が好きで、とにかく運転を極めている人が、もしケガをして両手が使えなくなったとしたら
その人は「好きなことができない人生」を送ることになります。
「好きなことだけで生きていくのが幸せ」だとしたら、好きなことができなくなったらそれは幸せではなくなるのでしょうか?
車の運転だけでなく、ブログも同じです。
もし両手をケガして「ブログがわたしの天職!!これだけがわたしの幸せ!!」と思っていて、
ブログが書けなくなったら、不幸になるのでしょうか。
その先の人生はずっと不幸になるのでしょうか?
ブログが書けなくなっても、好きなことができなくなったとしてもハッピーだと今は思います。今はね。。
なぜなら、「たとえ好きなことができなくなっても、”大切なだれか”の役に立つこと自体に幸せだ」と感じているからです。
たしかに好きなことができる人生は幸せでしょう。
しかし、そこだけに価値を置くと、それができなくなったとき人生に絶望します。
だからこそ、”好きなことだけに重きをおくと”それは諸刃の剣になるのです。
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人は、頼まれごとで伸びていく
人に頼まれごとや無茶ぶりをされて、人は伸びていくのかなって思うんです。
わたし自身も会社員時代は人に頼まれごとをされて、人間の器が広がったなという経験がいくつもあります。
「こんなのできるわけないじゃん!!」
という仕事は、大変ですし、しんどいし、苦労します。
でもその苦しさやしんどさの中に、自分にとっての課題が隠れていたり、気づきがあったりして
好きなことをやっていただけでは、ゼッタイに得られないであろうとする物事があったりするんです。
自分では気づかなかった才能に気づくんです。
好きなことを追求するのは、もちろん良いことなんですが
そこにしか目がいかなくなって「やりたくないことはいっさいやらない」というのは、ちょっとちがうのかも しれません。
それを好きかどうかだけで判断するのではなく、しんどそうだな〜って思うことも「この人のためならやってみようかな。。。」
っていうことも一旦引き受けてみてみることで そこからまた違う景色が見えて、今までにない幸せを感じるかもしれません。
いまもし、やりたくない仕事をしているとか、しんどいことばかりをやっているな、、、っていう人は捉え方を変えてみて
・「これは試されているんだ。自分の器を広げる良い機会なんだ!」
・「この苦しんだ経験がだれかの役に立つかもしれない」
と思ってみると、今のしんどいことにはすべて意味があって
自分が試されているんだ。自分では気づかなかったことに気づかせてくれるチャンスになるかもしれません。