失敗ばかりの人生を送るほど、他人の失敗にも優しくなれる。
こんにちはゲスブロガー三代目ナポリタンです。
この前コンビニのレジに並んでいたとき、ちょうど「研修中」と書かれた名札を付けた
女性が必死にレジを打っていたんです。
列がまぁまぁ並んでいたので焦っていたのかもしれないけど、わたしのすぐ前の人の会計でミスってしまったらしく
他の人に対応をお願いしていた。
わたしも大学時代コンビニでバイトをしていたけど、最初の頃はミスばっかりしてたし、慣れない中のテンパリぶりは
大変だったのはよ〜〜くわかるので、
昔の記憶が蘇りながらも、イライラせずに解決するのを待っていた。
わたしの人生で立ち上がられないほどの挫折はそんなにないけれど、たくさんの失敗はしてきたと思う。
人を傷つける言葉を言ったり、会社をサボったり、他にも悪いことをやった。
バイトや会社員時代の仕事でも、ミスをしてまわりの人に何度迷惑をかけたかわからない。
楽天的な性格なのか、些細なことを気にしないで生きていけるのが不幸中の幸いかな。
それをまったく誇れるわけではないけれど、失敗ばかりの人生でまわりに助けられて生きてきたので
他の人が失敗しても絶対に責めないようにしている。
一生懸命やったとしても、うまくいかないことはあるんだから。
スポンサードサーチ
他人のミスを見つけると、自分のミスを見つけてしまう
だれかがミスをしたら、ひどく責め立てる人がいる。
確かに、誰かのミスで自分に損失が出るときは、責めたくなる気持ちもわからなくはない。
けど、他人の失敗を責めるほど、自分ミスったときに苦しくなるのではないのか。
逆に失敗を恐れて何もできなくなるのではないか。
言葉って自分に返ってくるもので、ブーメランのように自分に返ってくるんです。
他人を責める人ほど自分に厳しくなるし、自分にも厳しくなる。
だから、だんだん失敗に恐る人生になり、何もできなくなる可能性もある。
命に関わる失敗は許されないことかもしれないが、
日常のちょっとしたミスも許されない人生は、生きやすいのだろうか?
生きている限り、失敗しない人生なんてあり得ないのだから。
他人のミスを責め立てるよりも、次をどうするかを一緒に考えてあげる方が自分にとってもベストなのではないか?
関連記事:人からバカにされ笑われた経験を持つ人は、成功するお話。
みんな「人生の研修中」であると思う
以前スシローに行った時、お店の人が豪快にお皿を床にぶちまけたときがあって
まわりの客は「うるさいなぁ〜」みたいな感じで見てたんです。
申し訳なさそうに店員さんは謝っていたんですが、こういうときに「どんまい!」とか
思ってあげれる寛容さが必要なんじゃないかなって思った。
日本にもう少しこういう優しさがあれば、みんなが生きやすい世の中になるのかなって。
「研修中」の名札が付いたバイトの人がミスをしたりすると、多くの人が大目に見てくれるはず。
だから、そもそも人間はみんな「研修中」なのだから、どんな人に対しても寛容であるべきなのかな。
結果、ミスしてしまったことには、仏の心で見れる余裕は持ちたいものである。
関連記事:「自分の人生、仕事はこれでいいのか?」と自分自身に問いてみた。
関連記事:わたしの苦しみを理解してほしい!!という人は、相手の苦しみを知ろうとしないお話。